悲観人間のつぶやき

何でも言語化すると、整理ができると聞いたので、好き勝手なことを書きます。

人生をかける夢

幼少期、私は一般的なバカな子供だったとは思うが、なぜかたいそうな夢を持っていた

 

世界中の人が幸せを共有する時間をつくりたい

みたいなことを考えていた

 

よく戦争の本であるとか、ドキュメンタリーなんかを見る機会があったせいか、いじめに遭ってしまったり、悪い大人に騙されたりしたせいかもしれない

 

もともと、おそらく5歳の頃

私にとって他人とは心から謎の存在だった(現在も)

あなたは何なのか、と友人に訊ねたことが何度かある

自分の感情は自分で感じるから、わかる

でも他人の思考をそのまま自分が感じることはできないから

それが、自分以外の存在を信じられないというか、理解できないきっかけになったのかと考えている

 

だから、だと思う

私は自分とおなじ喜びを、他者もまた同じように喜ぶ瞬間が

たまらなく、愛しいのだ

完全に同じとは限らないだろうけれど

自然と一緒に、同じものを見て、喜びや楽しみを感じることが

とても、尊いことだと

 

人はみんなそれぞれ、悲しいほど違う

素材は一緒でも、つくりは千差万別

それぞれが辿る道も、似たものがあったとしても、

全てが同一であることはありえないだろう

そういう人々が、全てわかりあい分かち合うなんて

不可能なことなんだけれど

 

二人で共有できる喜びがあるなら

世界中で共有できる喜びもあっていいのにと

つい考えてしまう

 

その一瞬だけでも平和な気持ちで世界が繋がることができるのなら

そんな技術が、そんな存在があるなら

それを作り出したい、せめて一助になりたいって

 

 

今は大いに挫折を味わっている

そもそも自分が生き続けること自体が

よくわからなくなっているから

 

でも生きながらえることができて、

またエネルギーが溜まったら

その目標のために

向かっていくことになるんだろう